頭取の執務室へは、まず秘書室を通る。秘書にアポイントの時間を伝えると、秘書室の中にある簡素な座席を示され、そこで待機するのだ。ここでは15分前行動が原則で、遅れることは許されない。部長の山中と田嶋は、ここで一言も発さずに待機した。田嶋は頭取から質問が想定されるあらゆることを頭の中でシミュレーションし始める。目線は床に自然と落ちた。
役員フロアは、床のカーペットが豪華だ。通常の行員が働いているフロアの床はグレーとブルーに近い色のタイルカーペットが敷き詰められている。いわゆる業務用というやつだ。ところが役員フロアはゴールドに近い薄い茶色の本物のカーペットが敷かれ、壁紙は年代を感じさせる落ち着いた白色、壁面は木材がふんだんに使われている。秘書室のメンバーもどことなく上品で、同じ銀行員とは思えない。大正や昭和初期の雰囲気が漂う少し浮世離れした空間が帝國銀行の役員フロアだった。
秘書の内線電話が鳴る。秘書がワンコールも立たずに無言で出て、すぐに受話器を切る。そのまま、山中に頷いた。山中は慣れたように席から立ち上がり、頭取室に向かう。田嶋も慌てて後を追った。じゅうたんが田嶋の重みを受けて沈む。田嶋の歩みを妨害しているようにすら感じる毛足の長さだ。しかし、実際には15秒程度で頭取室の前に到着した。
分厚い木の扉がふさぐ頭取室の前で、山中は二度ノックをした。そしてドアを開ける。このドアの重厚感ならば、頭取の返事は聞こえないだろう。そんなことを考えながら田嶋も室内に足を踏み入れた。