「森島さん。ちょっと来て下さい」伊東はいつもの敬語で田嶋と同じグループの森島を呼ぶ。森島は横山の人事面談を担当していた。
「森島さん。荻窪支店の横山課長代理が横領事件を起こしました」
「え? それはどういう」最後まで森島の言葉を待たず伊東が遮る。
「とにかく横領です。本人は行方不明。被害総額は億を超えています」
「あのエース横山が」森島は不意打ちをくらい、あたふたしながら伊東の話を聞いている。
「誰が横山代理をエースとか将来有望と認定したのですか。森島さんですか」伊東が冷たく言い放つ。
「いえ。あのう」
「とにかく、横山の人事資料を全て用意して下さい。もちろん、先日の人事面談の記録もです。それと横山の直接の上司である支店長、副支店長、次長に加えて、事務課の課長の資料も用意しておいて下さい」
「事務課長ですか」田嶋はつい口を挟んでしまった。先程は山中に横山の直属の上司のみの資料を用意すると言っていたはずだが。
「何を言っているんですか。場合によっては牽制が効いていなかったということにして、事務課長に責任を取らせる可能性もあるでしょう。特に荻窪支店の副支店長は三田常務のお気に入りです。また次長も少し頼りないところはあるとはいえ、旧帝國銀行で同じ財閥の帝國化学を担当してきたエースですよ。最年少で次長にしたのですから、傷を付けられないでしょう」
田嶋は唖然とした。伊東はこのような支店のメンバーも頭に入っているのか。そして、人事部であるにも関わらず、人を見ているのではなく、あくまで役員、組織を見ている。伊東こそ官僚なのだ。
「失礼致しました」田嶋はそのように言う他になかった。
その後、森島が資料を集め、部長の山中、伊東、田嶋、森島にて人事部方針をすり合わせた。結論は、最悪の場合は事務課長に責任を負わせる。支店長、副支店長、次長は譴責で済ますというものだ。捜査の進捗状況も犯行の全容も分からない中ではあるが、とりあえずの方針は決定した。
その後、田嶋と森島には横山の実家および仲の良い同期をピックアップし警察に提供するように指示があった。