事実はケイザイ小説よりも奇なり

経済を、ビジネスを、小説を通じて学んでみる

帝國銀行、人事部76

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「スマートフォンは今や会社のシステムを使える環境に設定していることが一般的です。移動時間だろうと会社のメールをチェックし、場合によっては会社のサーバー上にある資料を編集・作成することもあるのです。新幹線に乗っている時に、会社の上司からメールが来たら返信するでしょう。会社契約のスマートフォンが支給されているのであれば、急ぎの仕事があったらスマートフォンを使って仕事をするのは当たり前です。もちろん、会社の上司のみならず同僚から連絡があったら電話を無視することはないでしょう」田嶋の話を聞きながら、比嘉が真剣に首を縦に振っている。

「過去の通達・判例は、移動中は簡単に指示・命令を受けることがないこと、そして業務が出来ないことを前提としているものと思われます。移動中なら、本を読んでも、睡眠をとっても、誰も制限をしないということが前提なのです。しかし、スマートフォン時代は移動中だろうと会社の指揮命令下にあると認定される事例は増えるものと思われます。そのような場合に、横河電機事件のように日当・出張手当等の費用支給をしておけば労働時間として認められないままなのか、それとも違う判断となるか、今後注目されていくのではないでしょうか。これは、新型コロナウィルス感染拡大で一般化が進んだ在宅勤務、リモートワークでも応用が利くような問題です」かなり上手くプレゼンが出来ているようだ。田嶋は手ごたえを感じていた。

「そして、日本の従業員を取り巻く環境は急速に変化してきています。共働きが前提の社会では、子供の送り迎え・食事の準備のために、自宅にいることが出来る時間が重要だということもあるでしょう。在宅勤務もある程度は容易になりました。会社の指揮・命令下にないからといって、移動時間というのは行動の自由を制約されていることに変わりはないのです」この言葉には女性の参加者が大きく頷いた。

「時代は変わっているのです。日本の企業の対応が、日本の司法の考え方が、このままで良いか、変わらないのかは、今一度検討してみることが必要なのではないでしょうか。そして、会社としては法的な責任が無かったとしても、道義的な責任を当行が問われないか、何らかの司法判断変更がなされる前に先手を打っておくべきか、などについて考えておくべきだと私は考えています。銀行は人が全てです。従業員という人から見放されたら終わりです。今回の勉強会は以上です」田嶋は軽くお辞儀をした。

 参加者からパラパラと拍手が上がった。皆の顔を見ている限りは、反応は上々だった。会議室の出口が開き、伊東が一番先に外に出ていったのが見えた。上司ながら感じの悪い男だ。