事実はケイザイ小説よりも奇なり

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帝國銀行、人事部69

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 地区を統括する部長の目にかない、入社4年目で賃貸アパートの営業となった。賃貸アパートの女性営業職は他社にもほとんどおらず、裕子はアパートのオーナー達からかなり可愛がられたようだ。複数棟の建築を依頼してくれ、さらに友人を紹介してくれたオーナー達とは未だに連絡を取り合っている。

 戸建の住宅は高くても1億円を超える案件はほとんどない。しかし、賃貸アパートは1棟で2億円程度の物件もある。満水ハウスは固定給は低かったが、営業成績に応じて支給される歩合給の割合は高かった。多い時には年収が2,000万円を超え、確定申告をしたこともあったそうだ。

 しかし、昼夜問わない猛烈な業務の影響で29歳の時、業務時間中に倒れた。2日入院し、その後3日間会社を休んだ時に、自分の人生や仕事について初めて真剣に考えたそうだ。

 そんな時に、ちょうど同じ支店の一般職の女性から誘われて、裕子は田嶋の銀行の同期が主催した「お食事会」という名の合コンに参加した。大学時代の恋人とは社会人になってすぐに別れており、その後は仕事が忙しすぎて恋人は作れなかったという。もちろん田嶋にはそれが本当かは分からなかったが。

 裕子と初めて会った日のことを田嶋は忘れていない。仕事がなかなか終わらず、1時間遅刻した。その店に入ろうとした時に、後ろから走ってくる女性がいた。その女性が同じお店に入ろうとしているので、ドアを開けて先に通した。それが裕子だった。11月初旬で少し肌寒い時期だった。裕子は髪の毛がまだ長く、黒髪のストレートとベージュの薄手のコートを着ていたことを田嶋は覚えている。

 1時間遅れた二人は必然的に近い席に座ることになり、かつ他の皆が酔っ払っていて乗り遅れた感じだった。田嶋も営業だったこともあり、何となく親近感が湧き、他の参加者をそっちのけで様々なことをしゃべった。田嶋は少し飲みすぎてしまい、裕子と何をしゃべったか全部は覚えていない。しかし、帰り際に名刺に携帯電話の番号とメールアドレスを書いて渡したことは覚えている。裕子からは翌日の朝にメールがあり、それから連絡を取り合うようになった。今とは異なる連絡先交換の方法が当たり前だった時代だ。

 2週間後に初めて二人でご飯を食べに行った。場所は田嶋が何度か行ったことのある新橋にある焼き鳥の三政だった。煙が充満したお店で待っている間に、初めてのデートはもっとおしゃれな場所に行くべきだったと後悔した。

 しかし、少し遅れてきた裕子は焼鳥屋で良かったと言っていた。おしゃれな場所は気後れがすると。田嶋はその言葉を聞きながら、この人と付き合いたいと思った。何度かデートを重ね、付き合うことになり、二人は親密になった。