田嶋の妻は裕子(ゆうこ)という。大手ハウスメーカーの満水ハウスに勤めている。満水ハウスはプレハブ住宅の最大手で、主に戸建と賃貸アパートの建築請負が主な業務だ。二人の間に子供はいない。
裕子とは、社会人になってから知り合った。同じ年齢で恋愛結婚だ。裕子は岩手の出身で、大学から東京に出てきた。私立大学で経済学部だったが、大学時代は生活費と学費を稼ぐためにほとんどアルバイトをしていた。サークルはテニスで、まあ普通に大学生活を送ったのだろう。
しかし、就職活動では苦戦した。ちょうど金融機関の破綻が続いた時期が就職活動の時期に重なった、いわゆる就職氷河期世代だ。当時は企業への応募もインターネットよりは紙でエントリーシートを出していた時代だ。就職活動はエントリーシートの作成に時間もかかり、作成のたびに写真を添付しなければならず、証明写真は伊勢丹で撮影するのが定番だった。就職活動にはかなりのお金がかかったのだ。企業が採用を抑制していたため、何社も面接を受けたが希望していた業界・企業にはことごとく落ちた。「弊社とはご縁がありませんでしたが、就職活動の成功をお祈りしています」と何度言われたか分からないそうだ。一般職だったら採用すると言われた企業もあったそうだが、親の期待もあり総合職に拘った。結局、営業がきついことで有名な住宅メーカーの総合職になんとか滑り込んだ。同期で女性の総合職、しかも営業職は数人しかいなかったという。
裕子の勤務する満水ハウスは大量の営業職を採用するが、3年以内に大半が辞めることで有名だった。裕子は東京の小さい支店で戸建住宅の営業として配属された。当時はパワハラという言葉はなく、営業は気合で案件を取ってくるものだった。日中は営業に出て、夕方に帰ってくると上司からなぜ案件が取れないのかを責められ続ける。人格を否定されるのは当たり前。女性だから営業が出来ないと言われたことは数え切れない。そして深夜まで事務作業をして、翌日は早朝から出勤という繰り返しだ。セクハラという概念も希薄だ。女性だったこともあり、社内の飲み会には常に呼ばれ、ホステスのような扱いを受けたこともあったという。酔っ払った上司から肩に手を回されるのを上手くいなすのも学んだテクニックだ。
裕子の性格に住宅メーカーの営業は合っていたのだろう。丁寧で親身な接客が評判を呼び、入社3年経つ頃には支店でトップの営業成績を出すようになっていた。すっかり体育会的なノリも身につけ、女性というよりは男性として扱われるようになり、露骨なセクハラも無くなっていた。