事実はケイザイ小説よりも奇なり

経済を、ビジネスを、小説を通じて学んでみる

帝國銀行、人事部59

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 総合職という職種が生まれた背景は、一言で言えば高度成長時代という時代にある。企業が規模も事業も急激に拡大させていく時代であり、新しい営業店、事業所、部署が次々と生まれていった。その企業の拡大に合わせて柔軟に従業員を移し、配置する必要があった。日本では就職と言うが、実際には「就社」であることが今でも一般的だ。この就業感覚は高度成長時代の働き方が影響している。『自分はこの仕事をしたい』という人よりも『会社の言う通り何処へでも、何でもやる』という人が貴重な人材として扱われてきた。会社は、仕事内容や勤務場所について文句を言わせない代わりに、従業員に相応の処遇、特に終身雇用を提供してきたのだ。そのため、特に新卒者は、仕事内容ではなく、会社名で就職先を選んできた。そして入社してからは、会社への忠誠心を求められた。その最たる例が銀行と言えるだろう。これが総合職の生まれた背景だ。

 一方で、企業の根幹として働く総合職の仕事量が多忙になるにつれて、事務作業や雑用を処理する人も必要となった。大量の事務作業は紙で行われなければならず、昼間に営業で外に出ている総合職は帰社してから長時間残業をして事務作業をこなしていた。

 この時期に女性の社会進出により、女性の仕事・職場が求められ始めた。当時の結婚観は「女性は結婚したら家庭に入り、専業主婦になって家事と子育てに専念する」というものだったため、女性の就職は一時的なものであり「腰かけ」と言われていた。そのため転居を伴う異動はあり得ないことだった。結婚した女性がそのまま企業で働くというのも暗黙の了解として認められていない企業が多かっただろう。「寿退社」という言葉は一般的だったのだ。そのような総合職のサポートを行い、かつ転勤がない職種として一般職が生まれた。

 田嶋は総合職と一般職の成り立ちについて、頭の中で思い起こした。

 確かに、銀行業界では、総合職と一般職の垣根は崩れつつある。主に一般職の業務を限定することなく、さらに幅広い働き方・業務を求めるという流れがあるのだ。この背景は、不良債権処理や低金利環境下で利益確保が難しくなってきた銀行がコスト削減のために一般職の一人当たりの業務量増加を求めてきたというものだ。

 それでも、銀行では、営業は総合職、事務は一般職という区分けは概ね一般的だった。そして田嶋は、銀行では実質的に一般職を無くすのは難しいと考えていた。その理由は、大量の書類事務があるためだ。