事実はケイザイ小説よりも奇なり

経済を、ビジネスを、小説を通じて学んでみる

帝国銀行、人事部54

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 山内が泣いたような目で田嶋を見つめる。

「田嶋君の手を私が握った写真を撮ったのは岩井支店長なの」

 ふいに田嶋は現実の世界に引き戻されたような衝撃を受けた。

「え?」

「そう。私は裏切り者なの」

「山内さんは何を言っているの」

「聞いて。岩井支店長から頼まれていたの。田嶋君を追い落とすようなネタを作ったら、営業から事務に係替えするって」

「それって」

「そう。私も40歳を過ぎて、渉外担当として営業するのはつらいの。銀行の営業に終わりなんてない。毎年、業績はリセットされて、目標という数字に追いまくられるだけ。もう疲れたの。だから事務に変わりたかった。もちろん、私は岩井支店長が嫌いよ。生理的にも受け付けない。若い男に媚びを売って、でも銀行内では出世間違いなしと言われて。私とは何もかも違う。だけど、あの人には人事権はある」

「だから」

「そう。だから岩井支店長を飛ばしたいと動きながら、岩井支店長が残った時のために、支店長の頼みを聞いたの」

「だから、あんなにしっかりとした写真が撮れたのか」

「良く撮れてた?私は見ていないの。田嶋君の手を握った写真だったら、欲しかったな。私が田嶋君のことを好きだったのは間違いないし」

「おかげで僕が飛ばされるところだったよ」

「ごめんねとは思っていない。自分のために最も特になりそうなことをしただけ。それに田嶋君は私の手には入らないもの」そう言って笑った山内の笑顔は美しかった。毒のある女性の美しさだ。田嶋は一瞬見とれてしまった。

 山内はさっと立ち上がり、自然に自身のバッグをつかむと店の出口に向かった。

 田嶋は引き留める必要が無いことは分かっていた。山内は振り返らずに店を出ていった。今の田嶋にあるのは、戸惑いと自分の能力・経験のなさへの歯がゆさだけだった。