事実はケイザイ小説よりも奇なり

経済を、ビジネスを、小説を通じて学んでみる

帝國銀行、人事部1

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「納得いきません」

 目の前で、新人の女性行員が涙目で抗議している。

「なぜ、私が支店の雰囲気を悪くしていると言われなければならないんですか。支店の飲み会は業務ですか。強制的に参加しなきゃいけないなんておかしいですよね」

 向かい側に座っている田嶋は辛抱強く傾聴に徹している。

「飲み会に行けば、貴重な時間が取られます。人事部の方ならご存じですよね。私達の年次は、昇格するために必須の資格が最初から多いんです。そもそも新型コロナウィルス感染症拡大の影響で、私達は入行して1ヵ月は自宅待機だったんですよ。そして、新人研修が始まっても基本はオンライン。同期と仲良くなるのも難しい環境でした。それで、コロナ明けに支店に配属されてもテレワークが多くて、業務を教えてくださる先輩は近くにいません。そんな環境で将来に不安を覚えて、せめて資格を取ろうと自宅に帰って勉強したいというのは、そんなにおかしいものでしょうか」

 田嶋は短髪の頭を動かし、あいまいにうなずく。きちんと聞いていることは示さなければならない。女性行員に涙目でまくし立てられるのは、いつまでたっても慣れないものだ。

「それに、飲み会に行っても、私のような年次の低い行員は支店長のそばに座らされて、お酌をさせられるだけです。時間を使って、お金まで請求されて。そもそも新型コロナウィルス感染症の第二波に気をつけた方が良いって報道されているのに、なんでリアル飲み会なんですか。コロナに感染させられるリスクだってあるのに。私にとって何の意味があるんでしょうか。私は飲み会が嫌な訳ではありません。強制されるのがおかしいと言っているんです」そう言って木村由香(キムラユカ)がこちらをじっと見つめた。きれいな二重のまぶたが震えている。瞳は赤く、涙がこぼれそうだ。さらに喉の奥から言葉が溢れる。

「支店の飲み会への出席を強制するのは、パワハラじゃないんですか」

 そろそろ田嶋が口を開く番だろう。

「木村さんの言いたいことは分かりました。支店長や課長の木村さんへの対応も悪かったんでしょうね。本人たちには私から注意しておきます。今回は、許してやってくれませんか」

「きちんと改めて貰わないと納得がいきません。パワハラなら、コンプライアンス対応の窓口に通報しても良いんですよね」木村は暗い顔で田嶋に迫る。木村が着ているブラックスーツの黒さがさらに増したようだった。

「もちろん、コンプラ窓口に通報してもらってもかまいません。外部の弁護士が対応してくれます。でも、その前に、もう少し私の話を聞いてくれませんか。私としては本気で木村さんに伝えたいので、一人の先輩として言わせてもらいます」

「何でしょうか」

 田嶋は少しだけ身を乗り出しテーブルの上に両ひじを乗せた。目の前で拝むように両手を組む。座っているパイプ椅子が軋んだ。