事実はケイザイ小説よりも奇なり

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【井澤②】(ヂメンシノ事件90)

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 おかみさんがナムルや前菜を運んできた。皿を並べながら、西川のお箸を左側に置き換えた。おかみさんも西川が左利きだと覚えていてくれたのだろう。

 生ビールで乾杯した後に、西川が口を開いた。

 「酔う前に言っておく。会社辞めるなよ。」目を合わさず、ただぼそっと井澤だけに聞こえるように西川は呟いた。

 「何言ってるんだよ。当たり前だろ。嫁さんも子供もいるんだからさ。」そう、努めて明るい声を井澤は出したが、声は空間に吸い込まれて、西川まで届かなそうだった。

 「ありがとう。今日は付き合ってくれよ。」井澤は重ねて声を出した。

 西川は黙って頷き、生ビールを飲み干した。

 「おかみさん。マッコリをボトルで!」西川が大きな声をだした。まだ店には他に客はいなかった。大きな声を出さなくてもおかみさんには聞こえるだろう。場の空気を明るくしようと気を使う西川に井澤は心の中で頭を下げた。

 三時間ほどお店で飲み、二人が外に出たのは十時頃だった。

 西川とマッコリを飲むと泥酔する。口当たりが良いので、ついつい飲みすぎるのだ。二人でフラフラと千代田線の赤坂駅に向かいながら、会社の先輩や部下の愚痴を言い合った。

 井澤は千代田線の北綾瀬に住んでいる。始発の電車もある駅で利便性は高い。それでも販売に苦戦したため、在庫を減らしたいとの思いから井澤は購入していた。この案件での販売苦戦の影響があり、その後の満水ハウスの分譲マンションは一等地でしか企画しなくなったのだ。

 西川は反対の路線で千代田線から接続している小田急の経堂駅に住んでいた。

 改札の前まで行き井澤は西川と握手を交わした。

 「今日はありがとう。懐かしかったな。」照れもあったが井澤は素直に西川にお礼を述べた。

 「ああ。お互い様だしな。何かあったら今度は井澤が相談に乗ってくれよ。」そう言って西川は代々木上原方面の電車に乗り込んだ。後に井澤が取り残されたが、寂しい思いはしなかった。

(続く)

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ヂメンシノ事件