「ちょっと待って下さいよ。何ですって。」
「私は五反田の詐欺事件の責任を取り、退職させて頂きます。本件では、平野さんにまで多大なご迷惑をお掛けすることになってしまい、本当に申し訳ありませんでした。」
「いやいや。どうしたんですか。まだ、委員会の報告書も出ていないし、当然に処分も出ていないでしょうが。」
「いえ。秘書部長から内々に打診がありました。辞めてくれと。」
「いや。私は知らないぞ。」
「そうですか。しかし、私としては責任も痛感しておりましたし、いずれ辞めるつもりでおりましたので。ただ、この事件を最後まで処理出来なかったのが残念です。」
「奥平会長のご意向か。」
「それは間違いないでしょう。いずれにしろ12月の上旬には関係者の処分がなされると聞いております。」
平野が言葉につまっていると、真中が口を開いた。相変わらず低い声だ。
「そこで心配なのは井澤です。井澤へは温情のある対応をお願いしたいと思います。本事件の責任は全て私にあります。井澤を少しでも守ってやって頂けないでしょうか。平野さんも大変な時期だとは思うのですが、他に頼れないのです。私の最後の頼みです。どうか、よろしくお願い致します。」
井澤が真中の横で驚いた顔をしている。普段は一重まぶたの目が細い男だったが、今は目を見開いていた。
「いや、真中常務。何を仰っているんですか。今日は、改めて平野社長に謝りに行こうって仰っていたじゃないですか。迷惑を掛けたからって。そりゃないですよ。」
「井澤君。今まで世話になったね。君はまだ学生のお子さんがいただろう。つらいかもしれないけど、会社を辞めることなんてせずに、もう一度頑張れよ。君なら十分に活躍出来る。」
「それは反則ですよ。」
井澤は下を向いてしまった。テーブルの上に置かれた左手が少し震えている。
平野にとっても真中の話は衝撃的だった。そもそも、社長である自分が知らないところで物事は動いているのだ。
「お忙しいところお邪魔致しました。改めて井澤をよろしくお願い致します。そして東京マンション事業部も面倒を見てやってください。皆、真面目にしっかりやっていますので。」
真中の必死の思いが伝わってくるようだった。
これが、真中が入室して来た時の違和感だったのか。すっきりしているように感じた理由が分かった。
「真中さん。これからどうするんですか?」
平野は思わず聞いてしまった。
「そうですね。暫くはブラブラしますよ。何かをする気にはなれませんのでね。私をハメてくれた地面師達を探したいという欲求はありますが、探偵のノウハウなんて持ってませんしね。」
自嘲ぎみに笑った真中の顔には影があった。やはり疲れているのだろう。
「平野さんにはどうしても最初にご挨拶と、お詫びとお礼を申し上げたかったんですよ。仕事中にすみませんでした。」
「いや。よく来てくれました。私が守れなくて申し訳ない。」
真中は立ち上がると、深々と平野に頭を下げた。あわてて井澤も立ち上がり真中に倣った。
平野も立ち上がり、軽く頭を下げた。
そのまま真中は部屋を出ていった。平野を振り返ることはなかった。
真中には二度と会うことはないのだろう。そう平野は実感した。
(続く)
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