「ここで私が退任したら、満水ハウスは奥平会長に誰も逆らえない企業となってしまいます。それを私は危惧しています。」
「は。アホか。ワシの言うことを聞くのが組織やないか。CEOはワシや。」
「そのお考えが危険だと申し上げているのです。」
「自分。喧嘩売っとんのか。」
「喧嘩は売っておりません。ただ、上場企業の代表取締役として懸念を申し上げておるのです。満水ハウスは奥平会長の持ち物ではありません。我々はあくまで株主から経営を任されているだけです。そして、満水ハウスは株主のためだけではなく、従業員や協力工務店、お客様を含めた様々なステークホルダーのために存在しています。」
「随分と賢い発言やな。おりこうちゃんや。教科書的な話はいらん。そんな頭でっかちで経営はでけへんぞ。やはり、自分は社長の器とはちゃうな。」
「はい。私は社長の器ではないかもしれません。人を惹きつけ、導いていくという点において奥平会長の足元にも及びません。それでも私にも出来ることはあります。満水ハウスにガバナンスを浸透させることです。」
「だから、そんなんで一円でも儲かるんか。アホか、おのれは。」
「少なくとも満水ハウスが致命的な問題を起こす可能性は削減出来ます。」
「すでに五反田で騙されて致命的やわ。自分の言っているのは綺麗事や。自分が可愛いから言い逃れしてるだけやないか。今まで目をかけてきてやっていたのに、こんなにしょうもない男だったとは残念や。」
「何と思われようと結構です。しかし、私は退任する気はありません。」
「じゃあ、自分は社長の座にとどまって、そのガバナンスとやらとしっかりとさせたいということやな。そんなら、法務担当の役員でも出来るわ。まずは儲けることや。儲けがあって初めてガバナンスや。順番が逆やねん。次の社長は儲けられる奴にするわ。」
「それも良いでしょう。しかし繰り返し申し上げておりますが、私は退任する気はありません。そもそも、奥平会長は私を社長に指名なさった時に、あと10年で退任すると仰っていました。もう来年がその10年です。会長が一緒に退任なさるのであれば私も従います。しかし、会長が続投なさるというのであれば、会長こそ権力の座にしがみつきたいのではないですか。会長は10年と約束なさいました。約束が違うのではないですか。」
冷たい空気が部屋を満たす。肌が刺されるようだ。沈黙というよりは暗闇が周囲を覆う。
「それが自分の本音やな。分かった。出ていけ。もうこの部屋には来んな。出入り禁止や。」
「承知致しました。しかし、会長も70歳を超えていらっしゃいます。もう後進に引き継いでも良い頃です。」
「出てけと言うとるやろうが。」
「失礼します。」
こうして平野と奥平の面談は終わった。奥平が平野に温情を示すことも無くなるだろう。サラリーマンとなって初めて、平野は徹底的に上司に歯向かったのだ。
・・・・終わりだ。
何かが今日、この場で終わったことを平野は実感していた。それが何か、平野には分からなかった。いや、分かっていても意識の外に置いておきたかっただけかもしれない。
(続く)