取締役会が紛糾し、平野が奥平に反抗した翌日のことだった。
奥平の秘書である松本より奥平が呼んでいるのですぐに会長室に来てほしいとの連絡があった。
松本からの電話を切った後、平野はしばらく動かなかった。深呼吸をし、頭をクリアにする。
昨日から予測していたことだ。想定問答は複数パターンで頭の中にある。しかし、圧倒的に立場が上の奥平と対峙することは平野の気を重くさせた。何と言っても奥平は満水ハウスの帝王であり、自分を社長に取り立てた本人なのだ。平野にとって憧れの人でもあり、畏怖の対象でもあり、そして今や敵だった。
「失礼します。」
会長室をノックして頭を下げながらドアを開けた。
奥平は部屋の奥にある重厚感のある木製の机の向こうに座り下を向いている。
「そこに座れ。」
顔を上げず奥平が言葉を発した。
平野は黙って、応接セットのソファーに腰かけた。
何度もこの部屋には入っている。いつもよりも部屋は暗く、空気は重く、平野を押し潰そうとしていた。
奥平がおもむろに立ち上がり、目を合わせないままソファーの方に歩いてきた。そのまま平野の向かいに腰を下ろす。
「自分、何がしたいねん。」
奥平の物言いはストレートだ。
「昨日のあれはなんや。何が言いたいんや。」
射抜くような眼光で平野を見据えてくる。
「はい。」そう言ったまま、平野は一秒程度固まってしまった。自分に鞭をいれ口を開く。
「私が主張したいことは、五反田の詐欺事件の責任は私にあるとはいえ、退任までしなければならない事象ではないということです。」
はっきりと平野は伝えた。ここまで端的に奥平の問いに回答したことは今までなかったかもしれない。いつもは奥平の考えを探りながら会話をしていたのだ。
「だからな、自分に責任があるに決まっているやろうが。決裁したのは自分や。何で言い逃れしとんねん。そんなに社長の椅子の座りごちが良いんんか。」
「いえ。そんなことではありません。ここで私が退任してしまえば、我が社の従業員は失敗を恐れて萎縮してしまいます。チャレンジしようと考える従業員はいなくなってしまうかもしれません。」
「そんな従業員なら満水ハウスにはいらんわ。辞めたらええねん。」
「そうは仰いますが、社内でしっかりとした決議を得て取り組んだ案件です。外形的には問題なかった。しかし、詐欺に引っ掛かった、そういう案件なのです。」
「失敗は失敗や。損失が出とる。誰かが責任を取らなあかんやろ。それに、従業員が萎縮すると言うたけど、それは数字目標の立て方でなんとでもなる。今までも高い目標を現場には課してきたやろうが。それを苦しい思いをして現場がクリアしてきたから満水ハウスの今があるんや。自分もそうしてきたろうが。」
「そうです。目標達成が厳しいのが我々ハウスメーカーです。しかし、従業員が萎縮するというのはそれだけの意味ではありません。」
「じゃあ、何や。」
次の発言をしたら奥平との決裂は決定的だろう。いや、すでに完全に決裂しているか。
(続く)