平野が真中から聞いたところによると、この海猫館を買わないかとの話が持ち込まれたのは3月末頃だった。東京マンション事業部の部長の井澤が、ハジメからの紹介で地元に情報網を持つ不動産会社から情報を入手したのがきっかけだ。
すぐに井澤はマンション事業本部長である真中のところに相談している。説明を聞いた真中は「良い話だが慎重に対応するように」と指示していた。
「真中常務は、金額も大きいので慎重にしろと仰いますが、これはチャンスですよ。」
「来期以降のノルマも厳しくなるのが見えているじゃないですか。この物件を仕込めればウチの事業本部も目標を達成する目処が立ちますよ。」
このように続ける井澤に真中が言った。
「良い話には裏があるのが普通だろう。この話の出所は誰だ。」
「情報元は元代議士と親しい地元の不動産屋です。身元はしっかりとしています。少々、代議士がらみでグレーな取引もやってきたとの業界の噂はありますが、業歴は長いですね。この不動産屋に所有者の篠原さんとその財務担当者が訪れたんですよ。」
「売却理由は何なんだ。」
「所有者は73歳です。一昨年に倒れてしばらく入院していたそうです。自分の体力にも自信が無くなり、退院を機に相続について考え始めたそうです。」
「そこで売却をしようとなったわけか。でも何でウチに話が来るんだ。そんなに良い土地なら他のデベロッパーも狙っているだろう。」
「きちんと確認してあります。リーマンショックが起きる前には様々な不動産会社が篠原さんを訪れたそうです。その時に、ほとんどの業者はしつこくて、失礼だったそうです。ところが、満水ハウスだけは、おっとりした感じで印象が良かったと。テレビCMのイメージも良いから、父親の物件を任せるなら、満水ハウスにしたいそうなんです。」
「一応、理屈は通ってるかもしれんな。ただ、競合がいるだろう。どこだ?」
「それは教えてもらえていないんです。大手の不動産会社とだけ。」
「わかった。まずは所有者のしっかりとした確認だ。不動産登記簿謄本のチェックはやってるだろうから、反社会的勢力じゃないかのコンプライアンスチェックや本人であることの身分証明等をしっかりと入手してくれ。バブルの頃には所有者ではない輩が売り歩いていたもんだからな。このご時世にはないと思うが、念のためにしっかりとな。ま、君のようなプロに言う話ではないかな。」
「承知しました。それでは前向きに進めてよろしいでしょうか。」
「前向きに、ただし慎重にだ。社長には私から伝えておく。」
真中は井澤が退出した後、一瞬窓の外を眺めた。
スマートフォンでスケジュールシステムを呼び出す。
満水ハウスは住宅メーカーでは珍しく様々な公的機関や民間団体から表彰を受けているIT先進企業だ。
社員が会社にいるのか、外出中なのか、会議で電話に出られないのかは全て把握可能だ。相手が不在なのに電話をかけて、こちらも、そして電話を取り次いでくれる相手も時間を無駄にしないシステムだ。満水ハウスのここ数年の大幅なIT化は真中のようなオールドタイプからすると不満なことは多かったが、この在席確認システムだけは素晴らしいと感じていた。このシステムで社長を選択したところ『在席』となっている。もちろん一般の社員では、社長の在席が確認できるようにはなっていない。常務である真中の特権の一つだ。
ただし、さすがに社長のスマートフォンに直接電話することはない。まずは秘書に電話をかけるのがお作法だった。
真中は一息入れた後、スマートフォンの発信ボタンを押した。
それが、平野に真中から電話がかかってきた経緯だった。
(続き)
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