2020-01-01から1年間の記事一覧
「この中野坂上支店のような小さな店で、パワハラが起きているの。このままだと誰も問題にしないから心配になって連絡したの。具体的には岩井支店長の件なの」 「岩井支店長が真島さんへの指導が厳しいという話?」 「さすがに良く知っているね。あ、さっき…
「失礼します」少し鼻にかかった女性の声が聞こえ、扉が開く。入ってきたのは同期入行の山内早苗だった。 年齢は田嶋と同じで41歳。就職氷河期世代だ。かなり前だったが、同期会で隣になった時には三鷹に実家があり、実家から通勤していた。三鷹は様々な企業…
同じ会議室では、あまり時間を置かずに山内との面談を始める予定となっていた。既に16時50分を過ぎている。内田との面談は想定を超える50分となっていた。 殺風景な部屋に田嶋が一人取り残されている。 目の前には長いテーブルがある。折り畳み式で、邪魔な…
「岩井支店長の言動とはどのような点が問題だと思われますか」嫌な予感はしていたが、田嶋は真正面に聞いた。 「渉外担当の真島梨花さんへの言動は行き過ぎていると思います。詳しい話は山内さんからお聞きになった方が良いでしょうけど」 「この後に山内さ…
「私が知る限りでは当店にセクハラはありません。中村副支店長は、嫌みな感じなので生理的に嫌われていますが、女性が多い職場なのでセクハラはしません」田嶋は思わず吹き出しそうになった。やはり中村は嫌われているのか。錦糸町の頃から変わっていない。 …
「当店の人員数は適正だと思います。問題なのは、時短勤務者の権利意識の強さと、独身女性側の反発だろうと思います。時短勤務者は子供がいるんだから、そして権利なんだから仕事が出来ないのは当たり前と考えています。一方で、独身女性や子供がいない女性…
面談は16時から支店の会議室で行った。本来は女性と二人で会議室に入りたくはない。そもそもコロナ後であったとしても密になるような場所は避けたい。そして、そもそも女性と二人で密室にいると、どのような疑いをかけられるか分かったものではないからだ。…
「いろいろとご迷惑をお掛けしています。しかし、全行的な動きですので、どうかご理解下さい」田嶋は頭を下げた。 「分かっているよ。何とか営業事務のメンバーも戦力化するから」中村は安心したようだ。自分が副支店長時代に何らかの問題が起きたら、責任を…
田嶋は支店に入ると、まず副支店長宛に挨拶に行く。副支店長の中村は、入行店の錦糸町支店で一緒だった。その頃、中村はまだ4年目、田嶋は新入行員だった。 山内には、店内で変な勘繰りをされないように、近くの店舗に訪問した帰りに中野坂上支店にも立ち寄…
山内は、おとなしく優しい感じの同期だった。入行時から個人業務を支店で担当している。現在は支店で主任をしていたはずだ。山内のキャラクターを考えると本人がパワハラを受けることは想像しにくい。そうすると同僚の誰かが被害を受けているということなの…
夜遅くだった。 田嶋のスマホに同期の山内早苗からメールが入った。山内からメールが来るなんてことは、この10年はなかったはずだ。かなり前に同期会であったきりだ。そもそも、同じ銀行だから何か用事があれば、会社のメールで送れば良い。それを田嶋の個人…
「分かっていると思うが、三六協定の見直しは無理だ。現実的じゃない」田嶋は少々暗く、小さな声でつぶやいた。 「分かっているさ。この時代に若手行員を残業させまくると、それだけでブラック企業扱いだ。でも、若手の間は、一つひとつの仕事に時間がかかる…
「おう。変わりないか」島田がおしぼりをテーブルに置きながら言った。 「こちらは、相変わらずだ。人事に前向きな仕事は無いよ」田嶋は店員からおしぼりを受け取りながら言う。日本の居酒屋はおしぼりを出してくれる。これがどれだけ素晴らしいことか、日本…
銀行は同期の繋がりが深い。田嶋の同期は合併前の旧行ベースで100名程度だ。田嶋が入行して数年後に大手行同士の大合併があったが、いわゆる相手先の銀行の同期はあまり知らない。田嶋は就職氷河期真っ只中の年次であるため、同期は非常に少なかった。 入行…
「このように背広=スーツについては、会社が支給した場合に経費として非課税とはなりません。そのため、会社にスーツを従業員に支給するインセンティブはほとんど無いということになります。そして、私服として使え、給与所得控除もあるのだから、従業員個…
「この点については、国税庁がホームページの質疑応答事例で回答しています。背広など、私服としても着用できるものを制服として支給する場合、経済的利益の課税はどうなるかという質問に対してです。回答はシンプルで、所得税法上非課税とされる制服等には…
「それに、控除を使うためには確定申告が必要で、その確定申告に『この経費は業務のために使いました』と会社が証明する必要があります。これも非常に手間となります。会社に年間100万円もスーツを買ったから証明書にハンコを押してくれと従業員が頼んだら、…
「特定支出控除は会社員であっても年間の『特定の支出』の合計額が、給与所得控除額の1/2を超えた場合、その超過金額について所得控除を認め税金を安くするという仕組みです。この『特定の支出』として、8項目が挙げられています。一応記憶はしていますが、…
「ご質問頂いてありがとうございます。良い質問ですね」 田嶋は学生から質問が出る度に、このように伝えることにしている。質問しやすい雰囲気を作るためだ。 今の学生はSNSや就活サイトに何でも書き込む。印象が悪ければ、自分の名前が世の中にさらされかね…
ここは採用セミナー会場の片隅だ。田嶋は採用の手伝いで訪れていた。田嶋の目の前には数十人の学生が座り真面目にメモをしている。どの学生もいわゆるリクルートスーツで固めている。男性はネイビー、女性はチャコールグレーかブラックだ。個性を感じること…
山階が退出した会議室で田嶋は一人で天井を見上げていた。とにかく、今回は乗り切った。それだけだ。 今日も田嶋は面談後に本店に帰る。上司の伊東は、いつも遅くまで残っている。確かに忙しいのだろうが、人事部長が帰らない限りは帰らないという方が正しい…
「山階さんが言及されたのはあくまで地方裁判所レベルの判決です。最高裁で判決が出て、初めて日本全体でのルールが決まっていくのでしょう。当行としては、現行の人事制度および労働時間管理については問題が無いと考えています。でも私は貴店の担当です。…
「労働組合ですか」田嶋がやっと声を出す。 「そうです。私が管理監督者であることの理不尽さを教えてくれたのは、当行の労働組合の方ではなく、社外の金融機関の労働組合の方です。まだ加入はしていませんがね」 『やはり外部の労働組合だったか』田嶋は背…
三井倉庫港運事件(最高裁第一小法廷平成元年12月14日)という裁判例が存在する。人事関係者か労働組合関係者ぐらいしか知らないだろう。判決の要旨は次の通りだ。 「ユニオン・ショップ協定のうち、締結組合以外の他の労働組合に加入している者及び締結組合…
ユニオン・ショップとは、会社側が、労働組合との協定であるユニオン・ショップ協定を締結し、組合員ではないものを解雇する義務を負うことを内容とする制度のことを言う。単純に言えば、ユニオン・ショップ協定というのは企業内に会社が公式に認定する唯一…
「この通達をご存知ですよね」山階が暗い声を出す。 「これを知らない人事部担当は無能と聞きました。田嶋さんは明らかに驚いた表情をなさっていましたから、やはり知っているのでしょうね」そう言って山階は微笑んだ。先程まで田嶋の目の前にいた銀行の中で…
山階が示したペーパーは昔の労働省が出した通達だった。内容は次の通りだ。 都市銀行等における「管理監督者」の範囲(昭和52年2月28日基発第104号の2) (1)取締役、理事等役員を兼務する者 (2)出先機関を統轄する中央機構(本部)の組織の長で、1. 経…
「私は、山階さんが、労働時間、休憩、休日等に関する規制の枠を超えて活動せざるを得ない重要な職務内容を有していると思います。外為は海外とのやり取りですから、時間も海外支店に合わせる必要があると思います。そして、当行は主任調査役としての山階さ…
田嶋はイライラしながら、外見は神妙に首を縦に振る。しかし、山階は田嶋を見ていない。自分の世界に没頭しているようだ。 「残業代がつかない理由は、管理監督者は、自己の勤務において裁量の余地が大きいことから、労働基準法の適用を除外しても保護に欠け…
「田嶋さん。あなたは管理監督者がどのようなものか勉強しているのですか」 田嶋の目の前で、渋谷支店外為課の山階が怒気をはらんだ顔で話を続けている。 山階は外為課の主任調査役だ。入行して25年超のベテラン行員であり、半年前に渋谷支店に異動してきた…